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落ち着いて解読可能なノートをとる、という行為に関して

2009/6/30

今でも上手ではないが、昔はもっと遥かに、NSAの支援や、シャンポリオンがロゼッタストーンに向けた努力が必要なほどに、「難解なノートを書くのが得意」でした

例えば大学では、大体まじめに授業に出てノートをとっているが、復習の段になって自分のノートがデコード不能であるため、結局より綺麗なノートをとっている人のをコピらせてもらう。これは極めてnote taking時間の浪費であった

ぼくのノートをコピーしてあげることも多かったけど、上記のように今振り返るとあれは混乱要因の単なるダミー情報(暗号の必要条件たる「複合可能」すら満たしていない)であるため、触れた人は大変気の毒だったと思う。ぼく本人は他人のノートで勉強していたというのに。。


振り返ればあの頃のノートは「泥をそのまま壁に投げつけた」ようなモノであり、水平堅固な地盤の上に朗々たる城郭を築くようなノートとは程遠かった。言い換えると、inputをそのまま紙の上に“吐き出して”いた

「美しいノート」本のように、見た目も美しくもちろんデコード可能なノートは、情報がきちんとフレームワークに従って構造化されている

良いノートを数値化した指標であるGNP(Good Note Point:今考えたのですが)は以下の式で立式可能です

GNP=β(情報低減率)*GIC(Gross Information Content:総情報量)
(β=0~1)

GICは所与の数値(先生によって変動する環境変数)であるため、個人が努力して上げられるのはβ。つまり例のノート本などのβは限りなく1に近く、ぼくの過去ノートは0の近似でああった、ということ


メイントピックは何であるか?というと、βを上げよう!苦笑


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