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「敦盛」の解釈について

2010/1/31

敦盛の意味解釈について。アツモリとは信長がよく踊ってたあれですね

2010年1月30日(土)の日経新聞、私の履歴書にて細川護煕さんが敦盛を引用してたので興味を持ったので調べてみました。新聞では、「一度きりの人生、ただ命のある限りは、存分にこの肉体と精神のすべてを発動せずにおくものか、という信長の闊達邁往の気性が伝わってくる」とあります

ぼくも先ほどまで同様の解釈であり、原典からして「人生短い!だからやるっきゃねーぜ!」というテンション上げる用の謡かと思ってたのですが、熊谷直家の周囲のシチュエーションと前後の文章(下記)を考えるとどうもグレーになる

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

Prof. Wikipediaの訳を頼みにすると、どうやらこれは平家物語冒頭のように、直家が出家に至る世の儚さを訴える内容です。景気付けにはあまり成り難いこの謡をノブナガがなぜ好んだか?と想像を逞しくすると、化天や下天のような現世を客観的に鳥瞰できる視点を定期的に意識する事によりfieldを見渡すチェスプレイヤーのような発想ができるからだ、と思うのです

というワケで、敦盛は鼓舞というよりは「まぁ冷静になろうぜ」という効果があるんじゃないかな

- 平敦盛 
- 敦盛 (幸若舞)


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